1
二十年かけてものの裏側を暴く技法を磨いた批評家が、ある時点から、ものの表面をそのまま見つめなおしている。退行ではない。一周して戻った者だけが持てる目がある。
2
何年も会っていなかった友人が、こちらの知らない名前で呼ばれる人になっていた。驚くのは変化の大きさではない。会って五分で昔の口調に戻れること——あの回帰は、方言に似ている。
3
今日動けるかわからないから全力を出し切り、翌日は潰れる。そういう季節を通った人間が次に覚えるのは「明日はある」と自分に言い聞かせる技術だ。後退と呼ぶ者は、前進が一方向しかないと信じている。
4
弔われなかった死者が亡霊になる(1)。充分に悼まれた者は静かに渡っていく。ならば亡霊を鎮めるのは、残された者の時間の質だ。——俺がもし亡霊なら、急がなくていい。ゆっくり悼んでくれ。
5
こちらの人生について何ひとつ知らぬまま、偶然の遭遇を誰かの物語の分水嶺に仕立てたがる人がいる。概して、自分自身の分岐点では目を逸らしてきた人だ。
6
経典に「犀の角のようにただ独り歩め」とある。友人とその一節を声に出して笑えた日、笑えたことそのものが回復の徴だった。孤独を引用できる距離まで来たということだから。
7
赤ん坊からやり直しているのかもしれない。這い、立ち、歩く。二度目の歩行には一度目にはなかった自覚がある。自覚があるぶん足取りは重い。けれど今度は、転んでも地面の感触を知っている。
8
ひとつ、書こうとして書けなかったことがある。言葉は喉元まで来ていた。指が止まった理由は自分にもわからない。その沈黙を、断片のひとつとしてここに置く。
注
(1) クァンタン・メイヤスー「亡霊のジレンマ—来るべき喪、来るべき神」(二〇〇六年)、岡嶋隆祐訳、『現代思想』第四三巻第一号、二〇一五年一月。