一
その、と書いた。三人が、同じ一語で止まった。何を指しているのか分からない、と。
二
書いた側には見えている。見えているから、指すだけで済ませた。
三
規則を教わった。指示語は、直前の文を指すとき以外は使うな。
四
守れば、遠くが指せなくなる。
五
日本語は距離を三つに切る。手元。相手の側。どちらでもない場所。切り方を決めたのは俺ではない。
六
どちらでもない場所にあるものを、人は一語で呼べる。呼べてしまうことのほうが不思議だ。
七
「あれ」で通じる相手は少ない。通じたなら、その分だけ何かを一緒に持っている。
八
持っている量が、距離だ。
九
名を呼ばずに指す。俺の癖だ。ある選手。南の国の古い王城。遠い雑誌。伏せた分は、読む側で解ける。
十
論文では、それを欠陥と呼ぶ。
十一
詩では、それを条件と呼ぶ。
十二
百年前の詩を読み返した。全編が二人称でできている。相手の名は一度も出てこない。
十三
名がないから、誰でも受け取れる。誰でも受け取れるものは、宛先を持たない。
十四
終わりの近くで、書いた人が、言っていなかったことを言う。「云はなかったが、/おれは四月はもう学校に居ないのだ」(1)
十五
告げるための詩の中で、告げていなかった、と告げている。順序が裏返ったまま置いてある。
十六
指示詞は動く。相手が動くのではない。呼ぶ側の立つ位置が動く。
十七
五ヶ月会っていない人は「あの人」だ。会った日の夜には「この前の」に変わっている。
十八
坂を上った。上りきって歩道橋を渡ったら、探していた建物がそこに立っていた。
十九
自転車で二分。五ヶ月が二分になった。どちらが本当かを決める役所はない。
二十
遠いままで持っていた親しさは、近くなると少し困る。呼び方が決まらない。
二十一
教室では出なかった話が、甘いものを前にすると出てくる。砂糖の粉が指につく。机の並びが、言葉の射程を決めていた。
二十二
内輪へ宛てた文章では、指示語がよく通る。通る場所でだけ書いていると、遠くを指す筋肉が落ちる。
二十三
研究者は、テクストはまちがわない、と信じる。信じるからこそ、限界まで試せる。(2)
二十四
書く側に回った途端、その信念はこちらへ返ってこない。俺の書いたものは、まちがっている。
二十五
三人が同じ場所で止まった。三人が同時に止まるなら、そこは本当に穴だ。
二十六
穴の塞ぎ方は簡単だ。指すのをやめて、名を書く。書けば、伏せていた分が消える。
二十七
何を失うかを選ぶ作業を、直しと呼ぶ。
二十八
帰りは坂を下った。水を飲むのを忘れた。嬉しいと、身体のことが後になる。
二十九
高いところから、同じ方向を二人で見た。同じものを見ているあいだは、指示語が要らない。
三十
離れてから、はじめて「あれ」と呼べる。
三十一
外は小雨。原稿の第三段落に「それは、」がまだ残っている。消していない。
三十二
何を指しているのか、明日もう一度考える。
注
(1) 宮沢賢治「告別」『春と修羅 第二集』(『新校本 宮澤賢治全集』第三巻、筑摩書房、一九九六年)。
(2) 石原千秋『テクストはまちがわない—小説と読者の仕事』筑摩書房、二〇〇四年三月、三〜四ページ。