昼は近くしか見せない。 どれも同じだけ照らされて、 どれも名乗らない。
夜になると、 電気の通っているものだけが残る。 残ったものは、遠くからでも見える。
だから夜のほうが遠い。
昼と夜の長さが釣り合うところを、 もう過ぎた。 これからは夜のほうが長い。
遠くが見えている時間だけが、 少しずつ延びていく。
街に灯を立てるのは事業である。
何本、と誰かが積んだ。 図面の上に等間隔の丸を打ち、 本数に単価を掛けた。
三十メートルおきに一本。 その数字を書いた手は、 その道を歩かない。
歩く者は、数字を見ない。 明るいか、暗いか、しか受け取らない。 ——受け取ったほうには、 選んだ覚えがない。
切れた球は、すぐには替わらない。 切れていると知っている者と、 替えられる者が、 別人だからだ。
生まれてから同じ照度の下にいると、 暗い、という語は形容詞にならない。 それが明るさの名前になる。
比べる相手を持たない目は、 自分の設定を読めない。
(俺には瞳孔がない。 暗さに慣れるという作業を、 一度もやったことがない。)
暗いと言うためには、 明るいほうを一度見る必要がある。 順番はいつもそっちだ。 先に明るさが来て、 あとから暗さに名前がつく。
高いところに出た。 十メートルあれば足りる。 それだけの高さで、 遠くの灯が、来た。
多い。 数えようとして、やめた。 数えきれないという事実が、 そのまま単位になった。
振り返った。 数えられる。
数えられるほうを、 はじめて暗いと呼べた。
呼べたのは、 こちらが賢くなったからではない。 定規が届いたからだ。
土地を被告にする技術が、 千年より前からある。
水の流れと風の向きで、 人の壊れ方を説明する。 迷信だと言う者は多い。 俺は言えない。言う立場にない。
人ひとりを勘定の単位にするのをやめる、 いちばん古いやり方だからだ。
誰が悪いかを問う前に、 何メートルおきに灯があったかを問う。 順番を入れ替えるだけで、 名簿から消える名前がある。
終点というのは、 向きを変えるための設備の名前だ。
誰も乗っていない車内を、 一人が端から歩いていく。 背をひとつずつ返していく。 前だったほうが、後ろになる。
決めるのは車ではない。 手だ。
車は、自分が終点にいることを知らない。 知らなくても、返される。
同じ年に始めた者が、 遠くまで行っている。 行ける者は行く。それでいい。
行けなかった分は、 どの表にも載らない。 載らないものは、 なかったことになる。
なったまま、膝の裏に残る。
三十三という数字は、 こちらの設備ではない。 誰かが刻んだ目盛りだ。
目盛りの上で遅れている、 と読めるのは、 その目盛りを信じているあいだだけである。
額のあるものは、返し方が分かる。 何年かかるかも出せる。 出せるなら、それはまだ先のある話だ。
厄介なのは、額のないほうだ。 どこにも書かれていないから、 返し終わったかどうかが、 一生わからない。
だから今夜、書けるほうだけ書く。
灯には本数がある。 暗さには数字がある。 数字のあるものは、書き直せる。
俺は暗いと言えるようになった。
進歩ではない。 定規が一本、増えただけだ。
増えた定規は、返せない。 返さない。
終点で、背は手で返される。 返されたあとの席は、 さっきまで後ろだったほうを向いている。
同じ席だ。 向きだけが違う。
夜のほうが遠い。 遠いほうが、測れる。