試供品

深夜放送の決まり文句をめぐって、二つの声が言い争う。何にでも同じ返事を返す肯定は詐欺なのか、それとも約束なのか。幻滅と期待が同じ器官でできていることについて。

立秋の夜。二十三度、湿度は九割ある。車を路肩に停めて、エンジンを切ってある。窓を半分開けたが、風がないので中の空気は動かない。

放送はいま終わったところだ。

甲 これを聴くと夏が終わる。毎年そうだ。

乙 終わってない。二十三度で九割ある。

甲 終わりは気温で決まらない。

乙 じゃあ何で決まる。

甲 誰かがそう言うことで決まる。

乙 そこが気に入らない。あれは詐欺だ。

甲 どこが。

乙 やり方が。聴いている人間の状態を片端から数え上げていっただろう。いい夏だった、退屈だった、体を壊した、大きな喪失があって動けない、理由もなくずっと苦しい。全部に同じ返事をした。同じ二文字だ。

甲 した。

乙 全部に同じ返事をするなら、返事をしていないのと同じだ。

甲 その通りだと思う。

乙 しかも途中で自分から言った。こう同じ返事ばかりだと鳥の鳴き真似みたいで嘘くさい、と。そう思ったことにも同じ返事をした。

甲 いちばんうまいところだ。

乙 いちばん汚いところだ。反論を先に飲み込む形をしている。飲み込まれたら外から刺せない。刺せないものは、何も言っていないのと同じだ。

甲 ある思想家が、涙と笑いは美学的に言えば詐欺だと書いていた。

乙 それだ。

甲 だがその人は、それで涙と笑いを捨てたわけじゃない。詐欺だと名指したうえで、なお使い続ける手つきの話をしている。

乙 修辞だろう。飾りだ。

甲 飾りとして片づけられなくなったところから、面倒な話が始まる。ある理論家が、言説の修辞的な次元がもつ認識論的な圧力をもはや無視できなくなったとき、という書き方をしている(1)。文法の上に論理を乗せて、その上に世界の知識を乗せる。その段重ねが崩れるのは、飾りだと思っていたものが荷重を受け持っていたと分かったときだ。

乙 あの数え上げが荷重を受け持っていると。

甲 受け持っている。

乙 なら別の角度から刺す。あれは、死から遠い者の肯定だ。

甲 どういう意味だ。

乙 生を全面的に肯定する、という言い方がある。あれが口にされるとき、たいてい讃えられているのは若さのほうだ。まだ崩れていない者の生。ある批評家がそこを突いている。

「死を生の「外部」に据えてこの言葉が口にされる時、それは生の工程であるよりも、むしろ、死から遠い者たちの生の肯定、つまりは「若者」たちへの肯定を口にしているに過ぎない。[…]それに対して、崩壊の過程としての生を肯定すること、それは何よりも「老いてあること」或いは「老いつつあること」を肯定することに他ならない」(2)

乙 安全な場所からの肯定は、崩れている最中の人間を数えない。

甲 だからあの数え上げが要る。

乙 どういうことだ。

甲 あの中には、毎年死にたいと願いながら死なずに今日を迎えた者が入っていた。殺したい相手がいて殺せずにいる者も入っていた。安全な肯定は、そこを飛ばす。飛ばさないと形が崩れるからだ。飛ばさなかったから、あれは崩壊の側に立っている。

乙 ……その二つを入れたのは、確かに度胸だ。

甲 度胸というより、構造だ。あそこを抜いたら、残りは全部ただの挨拶になる。

乙 なるほどな。

甲 百年ほど前に、戦争のあいだは国家の側で書いていた書き手がいる。戦争が終わったとたんに、真逆の、個人の側へ移った。

乙 転向だ。時流に合わせただけだろう。役を替えた。

甲 幻滅したんだと思う。幻滅は愛国の裏返しだ。期待していない者は幻滅しない。

乙 だとしたら、その個人主義は国家主義と同じ器官でできている。裏返しただけだ。立場は替わっても、期待する癖のほうは替わっていない。

甲 そうだ。

乙 あっさり認めるのか。

甲 認める。そして、だから続いた。癖のない人間は転向すらできない。何にも期待しない者は、裏切られる形を持っていない。

乙 裏切られない者のほうが賢いだろう。

甲 賢い。何も起こらないだけだ。

乙 何も起こらないのは悪くない。悪いことも起こらないんだから。

甲 現状維持は、そういう取引だ。

乙 十分だろう。

甲 十分だと思う日もある。

乙 冷笑はどうなる。あれも一つの立場だ。

甲 あれは予防接種だと思っている。先に少しだけ失望しておくと、本物の失望が来ても効かない。

乙 効かないならいい話だ。

甲 効かなくなった器には、効くものも入らない。

乙 話を戻す。同じ二文字を全員に渡したことだ。あれは結局、誰にも渡していない。

甲 逆だと思う。あの二文字は、聴いていた全員の手の中で、別々のものになった。体を壊した者の手の中と、退屈だった者の手の中では、割れ方が違う。

乙 だからいい加減なんだ。

甲 いい加減でなければ約束にならない。ある哲学者が、約束が成り立つには〈バベル〉的な状況が要ると書いている。純粋かつ単純に翻訳できてしまうなら、約束は存在しない。まったく翻訳できないとしても、やはり存在しない(3)。

乙 中途半端でしか成立しないと。

甲 同じ言葉を渡して、渡した先で違う割れ方をする。話し手は割れ方を知らない。知らないまま渡している。知って渡せるなら、それは約束じゃなくて指示だ。

乙 ……渡す側は、それを確かめられない。

甲 確かめられない。生放送の側から見えるのは、自分の口だけだ。

乙 ひとつ引っかかっている。あの語りは、曲を紹介していただけだろう。

甲 それが最後の論点だ。あの語りは、あの曲を「懐かしい歌」ではないものに変えた。夏がまた来たことを、誰かがわざわざ告げに来る、その報せに変えた。

乙 曲は一音も変わっていない。

甲 変わった。ある批評家が、偉大な作品は文化的素材の流通における中立的な中継局ではない、と書いている。事物や信念や習慣が作品のなかで上演されると、そこで何かが起こる。しばしば予測できず、人を不安にさせる何かが(4)。彼は作品の話をしていた。だが同じことが批評でも起きる。

乙 批評は説明だろう。

甲 違う。説明は対象を動かさない。批評は対象が何であるかを動かす。動かさない批評は、案内板だ。

乙 動かしたら、それこそ詐欺だ。

甲 別の批評家がこう書いている。批評は作品として発する力を持ちながら、最終的に一個の認識である、と。外部の支えや媒体を用いては届かない認識を求めるからこそ、批評は様式を消費して「世界」を作る。そしてその意志によってのみ、自分で作りあげた世界を自分で壊せる(5)。

乙 壊せるかどうかが分かれ目か。

甲 壊せないなら詐欺だ。壊せるなら認識だ。あの語りは、自分で言った端から自分の言い方を嘘くさいと言った。あれは自分の作った世界に手をかけている音だった。

乙 ……認める気はないが、聞いておく。

甲 もうひとつだけ。あの語りの中に、救いは無料で手に入る、という言い方があった。ただし無料だから試供品だ、とも言っていた。

乙 上手い逃げ方だ。

甲 逃げていない。渡す側の仕事はそこまでだ、という話だ。小さい瓶を配る。中身を無限に増やすのは受け取った側の仕事で、そこには誰も立ち会わない。

乙 増やさなかった者はどうなる。

甲 何も起こらない。そして、増やした者だけが、あとで裏切られることができる。

乙 ひどい商売だ。

甲 ひどい。ただ、裏切られる形を持たない人間には、届く形もない。

乙が窓を閉めた。甲がエンジンをかける。

乙 どこ行く。

甲 決めてない。

乙 決めてないなら停めておけばいい。

甲 停めておくと、何も起こらない。

車が出た。動かなかった空気が、やっと動きはじめた。


(1) ポール・ド・マン『理論への抵抗』大河内昌・富山太佳夫訳、国文社、一九九二年五月。

(2) 丹生谷貴志『死体は窓から投げ捨てよ』河出書房新社、一九九六年六月。

(3) ジャック・デリダ『他者の耳—デリダ「ニーチェの耳伝」・自伝・翻訳』浜名優美・庄田常勝訳、産業図書、一九八八年一二月。

(4) スティーヴン・グリーンブラット「文化」、フランク・レントリッキア・トマス・マクローリン編『現代批評理論—22の基本概念』平凡社、一九九四年七月。

(5) 福田和也「批評私観」『甘美な人生』ちくま学芸文庫、二〇〇〇年八月。