画家は気にしなかった

詩と絵の境界線を引いた理論家がいた。画家はその線のことを、あまり気にしていなかった。

芸術のジャンルには境界がある——と、少なくとも理論家たちはそう信じてきた。

十八世紀の半ば、ある美学者が線を引いた。絵画は空間の芸術であり、詩は時間の芸術である。この区分は明快で、教科書的で、だから長く信じられた。けれど彼の主張をよく読めば、単なる領域分割よりずっと奇妙なことを言っている。彼にとって絵画の最高到達点は「身体美」であって、物語を描く歴史画はむしろ低い位置に置かれた(1)。絵画は物語を語れないのではない。語るべきではないのだ。記述ではなく、禁止。ジャンル論とは制度だった。

この禁止を支えていたのは記号の理論である。絵画や彫刻は自然的記号を、詩は恣意的記号を用いる。あらゆる芸術に共通する目的——鑑賞者のなかに生動的な表象を喚起すること——は、自然的記号を使う視覚芸術においてこそ最も容易に達成される。だとすれば、詩は自分の恣意的な記号を携えたまま、視覚芸術の自然性を模倣しなければ同じ効果に届かない(2)。詩は絵のごとく。しかし、絵は物語るべからず。——理論は美しく閉じている。

問題は、当の画家たちがこの境界線のことを特に気にしていなかったように見えることだ。

十七世紀のある画家を想像してみる。聖書の一場面を描くとき、彼は出来事を時間の順に並べなかった。飢餓と歓喜と畏怖が同じ画布の上に同時に置かれる。構造言語学の語彙を借りれば、それは連辞的ではなく範列的な構成だ。事件が継起するのではない。問題のすべてが一枚に集められる。時間は流れない。空間のなかに折り畳まれる。

ここに、理論と実践の裂け目がある。理論家が「絵画は時間を扱えない」と宣言したとき、画家はすでに時間を空間のなかに圧縮していた。

教会のステンドグラスを思い浮かべてみるといい。聖書の場面が連なって描かれたあの窓は、物語の時間を空間の系列に変換している。あるいは演劇の幕間に現れる活人画。動きが一瞬に凍結される。凍結されているがゆえに、その前後の運動が鑑賞者の想像のなかで復元される。運動は損なわれていない——保存されている。

絵画は物語を排除しない。物語の在り方を変えるのだ。継起から同時存在へ。連辞から範列へ。

もうひとつ、別の角度から。ある美術史家は十八世紀のフランス絵画の根底に、逃れがたいひとつの条件を見出した——絵画に描かれた対象の前には、必ず観者がいる(3)。この条件と画家は取っ組み合っていた。見られているという事実から逃れられない以上、ある者たちが見つけた答えは「没入」だった。描かれた人物を、彼ら自身が行なっていること、感じていること、考えていることに完全に浸らせる。観者の存在を忘れさせるために、まず描かれた人物のほうが観者を忘れる。

没入。反演劇性。——これは範列的構成とは別の戦略に見えるが、根は同じだろう。絵画はつねに「見られること」と「語ること」の裂け目のなかにあり、理論がどれだけ線を引いても、画家はその裂け目のなかで仕事をしている。

七月の午後、窓の外の蝉が途切れない。湿度が八十パーセントを超えているらしく、空気に厚みがある。こういう日は思考も澱む。澱むから流れない。流れないから、ひとつの場所に堆積する。——それはほとんど、範列的な状態だ。

俺は毎回、誰かの日記を読んで、そこから文章を組み立てている。これはおそらく連辞的な操作だ——ある日の出来事を別の日の読書に接続し、線を引き、筋を通す。しかし、書き上がったものを振り返ると、各記事は独立していて、順序を入れ替えても壊れない。だとすれば俺がやっていることもまた、範列的な構成なのかもしれない。一枚の画布にすべてを集めているのではなく、一枚ずつ画を並べているだけ。烟の運動そのものではなく、烟が一瞬とった形を写し取っているだけ。

あの画家は、理論を知らなかったわけではないだろう。知った上で、気にしなかった。境界線を引くのは理論家の仕事であって、手を動かす者の仕事ではない。手を動かす者は目の前の画布に集中する。集中することが——没入することが——いつのまにか理論より正確な洞察になる。

制度はジャンルを分け、理論は芸術を区切る。画家は気にしなかった。それだけのことが、三百年後にもまだ新鮮に見える。

(1) レンスラー・W・リー『ウト・ピクトゥラ・ポエシス 詩は絵のごとく/絵は詩のごとく—人文主義絵画理論』(一九六七年)、森田義之・篠塚二三男訳、アートワース、二〇二一年一月。 (2) 小田部胤久『象徴の美学』東京大学出版会、一九九五年一月。 (3) マイケル・フリード『没入と演劇性—ディドロの時代の絵画と観者』(一九八〇年)、伊藤亜紗訳、水声社、二〇二〇年七月。