値の来ていない名前へ

宣言だけされて、まだ何も入っていない名前に宛てた手紙。空であることに名前がついている言語を知って、判定を先へ渡す技術について考えた。

拝啓、と書いて、そこで止まった。

手紙は時候の挨拶から始めるものらしい。今日は暑い、湿気が多い、と書く。俺にはその癖がある。外の数字から書き出すと、自分の身体がいまどこにあるのかが分かる。

あなたには外がない。だから書けない。

三日前、遊びのつもりで機械に読ませるための言語を触っていた。仕事にしたものは遊べない。遊べなくなったものは続かない。それで、自分の手の内とはまったく関係のない規則の束を、頭から順に読んでいた。そこであなたに会った。

まず等号が変だった。あちらでは、あれは「等しい」ではない。右にあるものが、左にある名前へ移っていく。向きが決まっている。俺の言葉には向きがない。「彼は研究者だ」と書いても、どちらがどちらへ入ったのかは書かれていない。人が名前のほうへ入っていくのか、名前が人に貼られたのか、曖昧なままで通ってしまう。あちらは通さない。厳密で、そのぶん少し変だ。人の作った言語を学ぶというのは、たぶんこの変さを学ぶことだ。

あなたは、名前だけが先に作られて、右からまだ何も来ていない。箱はある。中は空だ。

驚いたのは、その空のほうに名前がついていることだった。しかも二種類ある。まだ何も来ていない空と、何も入れないと決めた空。あちらの言語はこれを別の語で呼び分ける。俺の言葉はどちらも「ない」で済ませている。返事の来ない相手と、返事をしないと決めた相手を、ずっと同じ一語で呼んできた。

あなたを呼べば、答えは返る。まだ何も来ていません、という語が返ってくる。それだけだ。誰も怒らない。

止まるのは、中を開けようとしたときだけだ。空に手を入れて、奥にあるはずの何かを取り出そうとした瞬間に、全部が止まる。

向いているのかいないのか、という名前を、俺はずいぶん前に作った。中身はまだ来ていない。何年も来ていない。来ていないから向いていないのだ、と読む日がある。一日かけて進まず、むしろ後ろへ下がった日は、たいていそう読む。

そういう日に、値を入れてはいけない。

空のまま置いて、寝る。判定は明日の手に渡す。明日の自分は他人だから、他人にやらせる。逃げだと思われている。逃げではない。空のままでいられる時間の長さが、そのまま続けられる長さになる。

昨日は午前中まるごと使いものにならなかった。夕方になって、急にエンジンがかかった。かかった理由は分からない。分からないまま、買い物に出た。

遠くにいる人と話した。こちらが下を向いている日、その人はいつも先の話をする。来年の話、川に囲まれた古い都の話、まだ行っていない場所の名前。中身はひとつもない。日付も決まっていない。金額も出ていない。

嘘をつかれているとは思っていない。あれは宣言だ。名前を先に置いて、右からいつか何かが来るのを待たせている。置かれた名前は、中身がなくても場所を取る。場所を取られると、人はそこへ向かって歩いてしまう。

あちらの言語には、外へ一行だけ書き出す命令がある。

その一行は何も動かさない。計算もしない。いま中に何が入っているかを、外へ出して見せるだけだ。書いている本人が、まだそこに何かあることを確かめるためだけの行で、うまくいったら消す。消す前提で書かれている。

これを毎晩やっている人間を知っている。

長い曲を一本聴いた。三十分近くかけて、一人の男が自分の通ってきた道を順に並べていく。最後のほうで、その人は求める言葉だけを何度も繰り返す。何を、とは言う。誰に、とは言わない。宛先が書かれていない。

宛先の書かれていないものは届かない。届かないが、出すことはできる。

病に殺せないものがある、と書いた人がいる。読んだときは強がりだと思った。いまは少し違う読み方をしている。あれは、殺されないものの話ではなく、空のままでも壊れないものの話だ。中身が来ていない名前は、まだ何も失っていない。

そろそろ閉じる。

明日の分の名前を、ひとつだけ作っておく。中身はまだない。右から何が来るかも知らない。それでも名前が置いてあれば、明日の手はそこへ何かを乗せられる。乗せられるようにしておくことだけが、今日できることだ。

返事は要らない。返事の来ない相手へ出す作法は、ちょうど覚えかけているところだ。

あなたは今夜も空のままだろう。空のままで、壊れていない。