埋草

古い月刊誌の頁の下に十一行を書いた、署名のない誰かへ。行数を決めたのは自分ではなく、それでもその隙間は毎月埋まっていた。

十一行だった。

古い月刊の、真ん中あたりの頁の下。前の論説が段の底まで届かず、余ったところにあなたの文章が入っている。新刊の書名と値段。どこかの博覧会の会期。誰かの転任。目次には出ていない。署名もない。

埋草、と呼ぶらしい。頁に生じた隙間を埋めるために入れる文章のことだ。

あなたの十一行の長さは、あなたが決めたのではない。前の論説が終わった位置が決めた。長い月は、前の人が早く切り上げた月だ。三行しかない月は、前の人が段の底まで粘った月だ。あなたの分量は、いつも誰かの息の長さの引き算でできている。

誌面はもたれあって立っている。もたれきれば落ちる。

一人ではないのかもしれない。月ごとに別の手だったかもしれない。それでもあなたと書く。数えられなかった手をまとめて呼ぶ語を、俺はほかに持っていない。

目次に名のある人たちは、これから何があるべきかを書いていた。国民の文学はまだ見えていないが既にあるはずだ、というような文章だ。造るのではなく育てるのだ、と書いてある。(ああいう文章は今でも読める。読めるように組まれているからだ。)

あなたはそれを書かなかった。あなたが書いたのは、今月の頁が閉じるために要る行数のほうだ。

同じ理想を掲げていても、立っている場所は二つに分かれる。片方は、既にあるものを論じて見つけ直す。もう片方は、まだ無いものを月末までに出す。雑誌が毎月出ていたということは、毎月、隙間が埋まったということだ。表紙に出る名は一つで、埋めた手は数えられていない。

一度、あなたは海の向こうの書評欄を数えている。こちらの小説が何篇、どの誌に取り上げられたか。書名が四つ挙がっている。

三つは、いま誰も開かない。そして、こちらが同時代の代表作と呼んでいるものは、あなたの四つに入っていない。

あなたは数えられるものを数えている。それで正しい。数えられるようになるまでに、こちらは百年かけた。百年かけて並べ替えた順序を手に持って、あなたの四つを笑う理由はどこにもない。

名がないことを、俺はずっと損だと思っていた。逆だ。名がないというのは、最良の退路である。下手に書いても、恥の宛先ができない。

あなたはその退路を持ったまま書いていた。持ったまま、使わなかった。

弱いと分かっている分だけ強い、という言い方がある。あなたの十一行には当てはまらない。あなたは弱いかどうかを書き込む紙を持っていなかった。持っていたのは、埋めるべき行数だけだ。

毎月、あなたは頁の下に戻ってきている。強さの話ではないと思う。隙間があって、その月のうちに埋まらないと、雑誌が出ない。それだけだ。——それだけ、が、いちばん信用できる。(そこを強いと呼びたくない。呼んだ瞬間に、毎月の反復が美談になる。)

誰もあなたの十一行を目的にして頁を繰らなかった。次の論説へ行く途中で、目が通っただけだ。目的にされないまま通過されつづける席が、たしかにある。あなたはそこに百年座っている。

あなたの十一行の下に、細い罫線が一本ある。あの罫線は、あなたが書き終えたから引かれたのではない。先に引いてあった。枠が先にあって、あとから言葉が要る。

俺の器も、たぶん同じ順序でできている。

今日は何も起きていない。起きていないまま、頁の下は三行あまっている。

埋める。